われらは廃墟から立ち上がった
우리는 빈터에서 시작하였네 | ||
1980年創作, 김두일作詞, 리봉룡作曲 | ||
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2014年2月27日木曜日
われらは廃墟から立ち上がった (우리는 빈터에서 시작하였네)
3人の友だち (세 친구)
3人の友だち
세 친구 | ||
1997年創作, 황진영作詞, 황진영作曲 | ||
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以前mp3をうpしました。
■画像
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2009/06/21 旧ブログに掲載
20**/*/* 新ブログに移植(日付不明)
2014/02/26 改訳・歌詞掲載
ラベル:
ファン・ジニョン作曲
,
ファン・ジニョン作詞
,
朝鮮音楽
わたしは考える (나는 생각해)
わたしは考える
나는 생각해 | ||
1992年創作, 김정훈作詞, 우정희作曲 | ||
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よく朝鮮中央テレビで翌日の番組案内の前に流れる曲です。
■動画
ラベル:
1992年創作
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ウ・ジョンヒ作曲
,
キム・ジョンフン作詞
2014年2月22日土曜日
金正日同志に捧げる歌 (김정일동지께 드리는 노래)
金正日同志に捧げる歌
김정일동지께 드리는 노래 | ||
1992年創作, 김건일作詞作曲 | ||
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2014年2月14日金曜日
豊年の鳥が飛んでくる (풍년새가 날아든다)
豊年の鳥が飛んでくる
풍년새가 날아든다 | ||
1960年創作, 한찬보作詞, 리동준作曲 | ||
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■動画
2014年2月10日月曜日
首領様のおかげさ (수령님 은덕일세)
現在、電子工業の発展にともなって世界的に新しい電子楽器が出現しており、それにもとづいた新たな現代音楽が発展している。現代科学の成果が取り入れられ、音楽的形象の立体化水準も日ごとに高まっている。こういった音楽の発展趨勢を無視しては音楽を世界的レベルに引き上げることはできない。きょう取りあげるのは「首領様のおかげさ」(1974年創作)です。もとは1970年代の曲ですが、普天堡電子楽団によって再形象されたことで知っている方が多いのではないでしょうか。
金正日
首領様のおかげさ(수령님 은덕일세) | ||
作詞:キム・ジェファ (김재화) 作曲:キム・ジェソン (김제선) | ||
普天堡電子楽団の歌詞 | ||
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普天堡電子楽団(2003年版)の歌詞 | ||
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オリジナル歌詞 | ||
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■音源
■解説
原曲はキム・ジェソンが作曲した歌謡。8分の6拍子の、新民謡風の作品である。歌唱入りのCD音源は確認されていないが、万寿台芸術団による器楽演奏版が存在する(万寿台芸術団第43集)。
とはいえ、冒頭でも述べたように、この曲に関して特筆すべきは普天堡電子楽団による再形象(アレンジ)版だろう。普天堡電子楽団第1集をはじめとして、いくつかのCDに収録されている。録音の時期は不明だが、1980年代後半(85年〜89年)とみられる。なお、これとほぼ同一構成の別録音が普天堡電子楽団第150集(2003年)に収録されている。
編曲を手がけたのは人民芸術家ク・スンヘ (구승해) だ。ク・スンヘは、「首領様のおかげさ」と同じく普天堡電子楽団初期の器楽中心の作品である「フルラリ」「農楽」などのを編曲者であるほか、「勝利の閲兵式」や「われらは党の軍隊」の作曲もしている。普天堡電子楽団では、リ・ジョンオらと同じく指揮者も務めたようだ。
ク・スンヘが編曲した「首領様のおかげさ」は、およそ4分の作品。冒頭に鳴りはじめる電子音は、なんとも言えずチープであり、コミカルですらある。しかし、そこへベースやエレキギターの音色が合流していき、男声ボーカルも被さったところでピアノソロが一気に曲を盛り上げる。そして、本曲の主題である「首領様のおかげさ」(原曲)のメロディを、安定感あるお馴染みの普天堡サウンドが奏ではじめる。原曲のメロディが1周し、2周目に入ると歌詞のボーカルも加わる。それでも、歌われるのは3節から成る原曲のうち第1節(1番)、それも「千里の野 黄金の野は/豊作に恵まれて/農場の村 分配場は/めでたきに沸く」まで。そこからは再び器楽に戻り、2周目が終わる。ここまでが全4分のうち前半2分。
さて、後半2分へ差しかかったころで、さらにドラスティックな展開が待ち受けている。転調だ。いったい何が起ころうとしているのか。「めでたや (オルサ)...」から始まるボーカルの掛け合いが過ぎ去ると、民謡「豊年歌 (풍년가)」のメロディが一瞬、顔を見せる。
だが、これが単に「豊年歌」を引用したのではないことが、すぐさま明らかになる。なんと後半2分の主題は、あの「チョンサンポル (청산벌)」、つまり「青山里に豊年が来た (청산벌에 풍년이 왔네)」(1960年創作、金玉成作曲)そのものなのだ。「この幸せを/誰がくださったのか/...」に始まる本曲のクライマックスは、メロディも歌詞も、「チョンサンポル」のクライマックスと完全に共通している。そして、男声ボーカルが「首領様の ご恩なのさ」と高らかに歌い上げ、その余韻をドラムソロが受けとめきったところで、「チョンサンポル」に憑依されていた本曲は、われに返ったかのごとく再び転調し、原曲「首領様のおかげさ」に戻って締めくくられる。
ところで、転調以外にも、この曲には音楽的に特筆すべき点がある。前半2分の主題として用いられた「首領様のおかげさ」は、たしかにメロディは原曲と同一なのだが、拍子が原曲と異なるのだ。ク・スンヘは、「首領様のおかげさ」といういかにも民謡然とした8分の6拍子の曲を題材に選んだうえで、あえて拍子まで現代風にアレンジする大胆な再形象に挑んだということになる。思えば、「チョンサンポル」も、4拍子の曲でありながら、8分の6拍子の民謡「豊年歌」のメロディを引用していた(それゆえ、さっき「豊年歌」に言及したのである)。
また、クライマックスで歌唱される2回の「この幸せを/誰がくださったのか」においてボコーダーを使用していることも見逃せない。普天堡電子楽団第1集の録音ではシンセ音と同化してしまっていてわかりづらいが、普天堡電子楽団日本公演の映像(1991年、日本青年館)では、功勲俳優キム・ヘソン (김해성) がカシオ製のボコーダーつきシンセサイザーと思われる機材を使用しているのがはっきりと確認できる。「首領様のおかげさ」は、編曲だけでなく、機材面でも野心的な試みがなされていたというわけだ。ボコーダーの使用は、普天堡電子楽団の他作品に見られない特徴である。
さて、この記事の冒頭に掲げた金正日総書記の言葉は、『音楽芸術論』(1991年)からの引用だ。1980年代は、欧米と日本を中心にテクノやエレクトロが音楽チャートを席巻した時代。総書記は、こういった世界的な現代音楽の流れを意識していたのだろう。当該箇所の記述は次のように続く。
外国の音楽の成果と経験を取り入れるにあたっては、なんでも見境なしに取り入れたり、うのみにすることなく批判的に取り入れて、自分のものとして消化する必要がある。外国の音楽はいかにりっぱなものであっても、そのまま自国の現実と人民の好みに合うわけではない。思えば、朝鮮民主主義人民共和国の音楽史は、いかに「主体性」を確保したうえで、「現代化」も怠らず、かつ「人民の好みに合う」音楽を生み出すか——という難題とともに歩み続けてきた歴史であった。その試行錯誤の歩みのなかで、金玉成の「青山里に豊年が来た(チョンサンポル)」はひとつのメルクマールであったように思う。
音楽の現代化においても主体性を確立しなければならない。われわれは電子楽器を利用するにしても朝鮮音楽に合うように利用し、現代音楽を演奏するにしても朝鮮式に演奏すべきである。人民が普天堡電子楽団の音楽を好むのは、電子楽器で朝鮮音楽を朝鮮式にりっぱに演奏するからである。
普天堡電子楽団の「首領様のおかげさ」は、「チョンサンポル」への、そして、「チョンサンポル」に象徴される先人たちの音楽的闘争へのオマージュだったのではないか。電子楽器という新しい武器を手にした新進気鋭の音楽人たち。彼らにとって、この作品こそ、かの朝鮮音楽史上の難題にたいする解答として、満を持して世に —そして金正日総書記に— 送り出した、いわば「第二のチョンサンポル」だったのではないか。そんな想像を膨らませずにはいられない。
いずれにしても普天堡電子楽団の「首領様のおかげさ」は、間違いなく、チュチェ音楽のひとつの到達点だ。
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